2022年 春分

「日時」2022年3月21日(月)16:20〜16:30

「場所」近隣公園にて

「周りの状況」晴れ時々薄くもり、微風

「内容」祈りのあと、太陽瞑想を3回


「感想1、太陽とつながっている時に(直接的なエネルギー方向で)感じたこと」

公園の芝生の広場が見える。陽は西に傾きかけている。この時期にしては冷たい空気を感じる。芝生はまだ黄色く枯れた色をしている。山には所々まだ白い雪が残って見える。その中で、木々の先は赤くなり、つぼみがふくらんでいる。頬が冷たくなっているのを感じた。祈りを捧げ、芝生に立ち、瞑想。手には太陽からの暖かさよりも、夕方の冷えが昇ってくるように感じられた。もう太陽は沈みかけていて、その光は暑さや暖かさより、穏やかさをたたえているように感じた。


「感想2、自分の中(内側へのエネルギー方向)で感じたこと」

慌ただしい1日で、やっとできた太陽瞑想の時間であったが、落ち着かない気持ちを反映するかのように自分の中に何かモヤモヤと漂っているものがあった。それが瞑想を続けるにつれ、周りと溶けあっていくように感じた。太陽は沈もうとしていて、陽の光の暖かさをあまり感じなかったが、太陽の内側に漂う気持ちというか、思いが直接私の内側に注ぎ込まれてくるように思った。太陽そのままの穏やかな優しさ、愛が私の中に染み入ってくるように思えた。ああ、これが見守られている、愛されている、肯定されているということなんだと感じた。それはあまりにも当たり前で、穏やかすぎて、意識することすらないようなほどに、ただそこにあった。それが私の中に満ち満ちて、周りに溢れ出していくように思えた。公園で遊んでいる別の家族連れも、葉を落とした木々も、空を飛ぶ鳥もその何かに溶け合って一緒にいるように思えた。私が広がっているのか、世界が広がっているのかわからないような感覚を覚えた。


「感想3、周囲や地球的な広い視野(外側へのエネルギー方向)で感じたこと」

夕刻の太陽の光は強くはなく、いつもの熱や太陽の存在の確かさよりも、光が薄くなり世界が緩んでいくように思った。周りの空気が揺らぎ、震えているような感覚があった。周りの風景、大地、樹々、とても確かな存在なのに、蜃気楼のように揺れてもいる。そんな感覚だった。こうして、今世界の様々なものが動き、変化しようとしている。それはこの世界では不安定さと言うのかもしれないけど、そうしてゆるみ、また新しい形を取ろうとしている世界のことを思った。その変化は起こるべくして起こっているし、それは私という小さな1単位の中でも起こっている。

確かなものがあることがいいように思える、何か確固たる未来を求めてしまう。それがいいことのように思えるから。向かう先が予測でき、確かな結果があるほうが不安がないから。しかし、そうして小さな視点で世界を限定することが、地球が求める未来を縛りつけているように思えた。世界はこれほど不確かで、揺らぎのある次元に出現する一瞬の奇跡なのだと思う。その中に私たちも生きている。それはあるように思えて、本当はないものだったりする。一瞬の奇跡を成り立たせているもの、奇跡の連続を生きている私たち、それを感じている意識、その全てが愛おしいと思った。


「全体のまとめ」

今年の冬は寒く、雪も多い冬らしい冬でした。春分の頃には寒さも緩んでくるのに暖かな日は少ないまま春分の日を迎えました。冬至も過ぎ、グレゴリオ暦では新しい年を迎えつつも、自分の中ではなかなかリズムをつかめないまま春分を迎えた感じでした。新しい流れが出来つつも、まだ古い流れもあり、二つの重なりを生きているような感じでした。そんな中で春分の太陽を瞑想をしてみると、これは何かが揺り動かされ、変化していくときの確かな顕れであるように思われました。そうであれば、何も無理やり決めたり、どちらかを切り捨てたりすることもなく、自然な流れによって、必要なものが残り、今の私に不要なものは淘汰されていくのでしょう。力を抜き、その流れに任せることができれば、自ずと現れてくるのだと思うのですが、なかなか自分の世界を信頼してすべてを預ける、という状態でいるのが難しく感じます。冬は終わり、しかしまだ新しい芽吹きを見ていない。もどかしい時期でもあります。しかし、そこには確かに何かが生まれこようとしている予兆のようなものを感じる、そんな春分の太陽瞑想でした。


まだまだ春休みでドタバタしておりますが、新しい一年を新たな気持ちでまた始めたいと思います。

写真は、西の空に沈みそうになっている太陽です。心なしか、肉眼で見た時よりも大きく写っているように思いました。


++++++++++++++++++++++++++++++++


富山の農村の実践ワーク場で、今年も春分の朝の太陽光を全身で受け止めました。真東からの特別な「知恵の光」は私達の細胞を貫いて、増殖、そして体内活性化のスイッチを入れてくれます。身体の中の小さな太陽もまた呼応して上昇してゆくかのようです。


一年の始まりにふさわしい春分の光を浴びていると、マヤの実践ワーク場「ロルベ」で行なった数々の思い出も蘇ってきます。時折鳥達の優しい声が響く静かで新鮮な空気感はとてもよく似ていて、今年もこうして春分の太陽を迎えることができた喜びが込み上げてきました。田んぼを覆っていた雪はすっかり消えて、土色に映える緑が伸び始めた光景は美しいものです。そして、周囲にうごめいている無数の命の存在も感じられます。実際の動きは微細でとらえにくいものですが、太陽に意識を向けているだけで、太陽を中心に生きている仲間達の氣を敏感に察知できるのは不思議な感覚です。超古代マヤの伝統の教えをお伝えしている立場上、時に私達夫婦を「先生」と呼んでくださる方がおられますが、私達人類の先生は太陽や地球と調和しながら生きている動植物なのです。彼等から謙虚に教えを請う時代が再び廻ってくるのでしょう。


マヤ・カレンダーの新しい13年サイクルがスタートしたこの日に、これまでの13年を顧みながら、これからの13年に思いを馳せてみました。世の中のこと、未来のこと、宇宙全体のことに関して問いかけ、指針や導きが得られるように意識を集中していると、ひらめきや現象による啓示で答えが得られるものです。新たな「光の時代」は、一人一人が自らの意思で様々な実践を行ない、そしてつながり、融合してゆく「イン・ラケ’ッチ!の時代」です。13年サイクルの始まりの日をまた一つのきっかけにして、精神と身体のバランスを調整しながら共に進んでまいりましょう。今年もマヤ的な意識で、また世界の平和を祈りながら、春分のワークを実施してくださった皆様、どうもありがとうございました。イン・ラケ’ッチ!(私はあなた、あなたは私)

2024年春分は▶️こちらで!

マヤの伝統文化 紹介センター

マヤの伝統文化 紹介センターは「マヤと日本の架け橋」としてマヤの暦、性教育、言語、儀式ワークなどの先住民伝統の情報をお伝えしています。 時には、マヤから来たクリスタル・スカルと共に国内巡礼もしています。